本記事のテーマは、単なる「ラーメンチェーンの内紛」ではなく、地方発の老舗企業が、創業家中心の経営からプロ経営者中心の経営へ移行する過程で、何が起きているのかという企業統治・事業承継の問題として見ると非常に興味深いです。
なお、「創業家を追放した」という表現は当事者間の評価を含むため、公開資料で確認できる事実と、株主総会で示された批判を分けて記述します。2026年6月18日を境に、創業家の後藤晋一氏らが取締役を退任し、長丸昌功社長を中心とする新体制に移行したこと自体は確認できます。現在の取締役一覧には創業家出身者は含まれていません。
――八番らーめん創業家退場の真相と、北陸企業が挑む「第二の創業」
「なんでやろ、8番」。
石川県を中心とする北陸の人々にとって、この言葉は単なるラーメン店のキャッチコピーではない。国道8号線沿いの小さな店から始まり、野菜がたっぷり載ったラーメンを看板商品として北陸の食文化に入り込み、半世紀以上にわたって地域の日常を支えてきた企業ブランドそのものを表している。
その「8番らーめん」を運営する株式会社ハチバンが、いま大きな転換点を迎えている。
2026年6月18日、ハチバンの第56期定時株主総会を境に、創業家出身の取締役であった後藤晋一氏が退任した。これによって、創業家出身者が取締役として経営に参加する状態が終わった。会社側が5月13日に公表した人事異動では、後藤晋一氏、専務取締役の吉村由則氏、社外取締役の植村まゆみ氏が、いずれも株主総会終結時をもって任期満了により退任するとされていた。
そして現在の取締役会には、代表取締役社長の長丸昌功氏を中心に、清治洋氏、杉本貴史氏らが名を連ね、創業家出身者は存在しない。
ところが、この人事をめぐって6月の株主総会は穏やかには終わらなかった。
石川県の北國新聞は、株主総会で前社長で創業家の後藤克治氏が長丸社長を追及し、「なぜ創業家を外したのか」といった趣旨の声が出たこと、「ガバナンスに問題がある」とする批判が出たことを報じている。後藤氏は会社の株主として総会に出席していた。
これは「創業家が会社を追われた」というだけの話なのだろうか。
実際には、もっと大きな変化が起きている。
ハチバンは現在、「北陸のソウルフード」から「世界のHACHIBAN」へという大きな方向転換を進めている。2026年5月には、会社として初めて中期経営計画を公表し、2028年までに店舗数を303店から378店へ増やすという、かなり積極的な成長目標を掲げた。
つまり現在のハチバンでは、創業家からプロ経営者へという経営体制の転換と、北陸ローカルブランドから世界展開する外食企業へという事業モデルの転換が、同時に進んでいるのである。
この二つは偶然重なったのではない可能性がある。
1.すべては1967年の国道8号線から始まった
ハチバンの歴史は1967年2月11日に始まる。
石川県加賀市桑原町、国道8号線沿いの田んぼの中に、小さなラーメン店が開店した。
店名は「8番ラーメン」。
国道8号線にちなんだ名前だった。
創業者は後藤長司氏。25席ほどの小さな店で、炒めた野菜をたっぷり載せたラーメンを提供したところ、開店当初から大繁盛し、1日1,300杯を売り上げることもあったという。(はちばん)
そして、この会社の歴史を特徴づける決定的な経営判断が、創業したその年に行われた。
フランチャイズ化である。
つまり、最初から「自分の店を何店舗まで増やせるか」という発想ではなく、「この味と仕組みを他の店でも再現できるか」というチェーンビジネスの発想を持っていた。
1971年には株式会社八番フードサービスを設立して事業を承継し、その後、工場を整備して麺、餃子、タレ、スープなどの製造機能を自社グループに取り込んでいった。1986年には社名を株式会社ハチバンに変更している。(八番目)
これは単なるラーメン店ではない。
「飲食店+フランチャイズ+食品製造+物流」という垂直統合型の外食企業へ進化していったのである。
2.「野菜らーめん」は商品ではなく、ビジネスモデルだった
8番らーめんの最大の特徴は、野菜らーめんそのものだけではない。
重要なのは、その商品を全国の加盟店で一定品質に再現できる仕組みを作ったことである。
麺を自社で製造する。
餃子を製造する。
スープやタレを製造する。
食材を調達する。
加盟店に供給する。
店舗では一定のオペレーションで調理する。
こうすることで、職人個人の技術に依存しないチェーン展開が可能になった。
これは現在でいう「チェーンストア・マネジメント」と「サプライチェーン・マネジメント」の統合である。
ハチバン自身も、経営戦略としてこの二つのチェーン・マネジメントを強みとして位置付けている。(EDINET DB)
この仕組みがあったからこそ、8番らーめんは北陸で圧倒的なブランドを形成することができた。
3.創業家による経営は「後藤家の会社」だった
ハチバンの経営史を理解するには、創業家である後藤家の存在を無視できない。
創業者の後藤長司氏の後、後藤四郎氏、後藤克治氏らが経営の中心を担ってきた。
2000年代半ばの有価証券報告書を見ると、後藤四郎氏が代表取締役社長、後藤克治氏が代表取締役専務として経営を担っていた。さらに資料には、後藤克治氏が後藤四郎氏の実弟であることも記載されている。
つまり長い期間、創業家=経営の中心という構造が続いてきた。
後藤克治氏自身も1971年に入社し、1984年に取締役、1994年に常務、2002年に代表取締役専務、2014年に代表取締役社長、2020年に代表取締役会長となった。
ところが、この「創業家経営」が徐々に変化していく。
4.転換点となったのが長丸昌功氏だった
現在の社長、長丸昌功氏は創業家ではない。
しかし、外部から突然やってきた人物でもない。1984年にハチバンへ入社し、2002年に取締役、2012年に常務、2016年に専務を経て、2020年3月に代表取締役社長となった、いわば生え抜きのプロ経営者である。
この点は非常に重要である。
今回の問題を、「創業家が追い出され、外部の経営者が会社を乗っ取った」という構図だけで理解することはできない。実際には、創業家と長年会社を運営してきた非創業家の幹部が、経営の主導権を移していくという構造だからである。
しかも長丸氏は、ハチバンで30年以上働いてきた人物である。
したがって今回の問題は、典型的な敵対的買収や外部ファンドによる経営権取得とは性質が異なる。
5.後藤克治氏は2024年に社長から退いた
2020年、後藤克治氏から長丸昌功氏へ社長が交代した。
後藤氏はその後、代表取締役会長となり、さらに2024年6月13日には代表取締役を退任した。
ハチバンのコーポレートガバナンス報告書では、後藤氏はその後「相談役」とされ、経営上必要な事項について社長・取締役会から諮問を受けた場合に意見を述べるものの、意思決定には関与しない立場と説明されている。
ここまでは、創業家から非創業家への段階的な事業承継として見ることができる。しかし2026年になると、その流れがもう一段進む。
6.2026年、創業家出身の後藤晋一氏が取締役を退任
後藤克治氏の息子である後藤晋一氏は、2022年から取締役を務めていた。有価証券報告書には、後藤晋一氏が後藤克治氏の実子であることが明記されている。後藤晋一氏は2016年にハチバンへ入社し、外販事業部長、執行役員を経て2022年に取締役となり、2024年には8番らーめん事業部長を務めていた。
つまり、創業家の次世代として経営を引き継ぐ可能性がある人物だった。ところが2026年5月13日、会社は後藤晋一氏が6月18日付で取締役を退任すると発表した。しかも理由は「解任」ではなく、任期満了による退任とされている。
この一点は非常に重要である。「追放」という言葉からイメージされるような取締役解任決議が行われたわけではない。会社側の公式文書上は、あくまで任期満了である。
しかし結果として、創業家出身者が経営陣からいなくなった。そしてこの人事をめぐって、株主総会で後藤克治氏が会社側を追及した。ここから「お家騒動」という言葉が使われるようになったのである。
7.2026年6月18日、株主総会で何が起きたのか
北國新聞の報道によれば、2026年6月18日の株主総会では、創業家を経営から外すことについて株主から疑問の声が上がった。
「なぜ創業家を外したのか」という趣旨の質問が出され、「ガバナンスに問題がある」とする指摘もあった。
そして注目されたのが、後藤克治前社長自身が株主として出席し、長丸昌功社長を追及したことである。
これは企業統治という観点から見ると、かなり象徴的な出来事である。
創業家はもはや取締役会を支配していない。
しかし創業家は株主として存在している。
そして、創業家側から見れば、
「なぜ長年経営してきた家族を経営から完全に外す必要があるのか」
という疑問が残る。
一方、会社側から見れば、
「上場企業として、創業家であることを理由に取締役の地位を維持する必要はない」
という考え方になる。
ここには、日本のファミリービジネスが上場企業へ移行するときにしばしば発生する、根本的な問題がある。
8.「創業家の会社」から「株主の会社」へ
ファミリービジネスでは、創業者一族が、
ブランドの象徴
企業文化の担い手
長期的な経営責任者
主要株主
を同時に担うことがある。
その状態では、「所有」と「経営」が一体になっている。
ところが会社が上場すると事情が変わる。
株主は創業家だけではない。
ハチバンの場合、2026年3月20日時点で株主数は7,150名。上位株主にはハチバン取引先持株会、北陸銀行、麒麟麦酒、野村證券、日清製粉などが並び、創業家の後藤克治氏の持株比率は1.5%だった。
つまり現在のハチバンは、法的には明確に「創業家の会社」ではない。東証スタンダード市場に上場する公開会社である。ここに今回の問題の本質がある。
創業家からすれば、「この会社を作ったのは自分たちだ」という歴史的正統性がある。しかし上場企業のコーポレートガバナンスでは、「誰が創業したか」と「誰が現在の取締役として適切か」は別問題になる。
9.後藤家の株式保有比率も重要である
2026年3月20日時点で、後藤克治氏の保有株式は44,000株、持株比率は1.5%だった。
少なくとも公開されている上位10株主一覧では、創業家が会社を支配できるような株式集中は確認できない。
この点からも、現在の問題を「創業家と経営陣による会社支配権争い」と単純化するのは適切ではない。
むしろ、創業家としての歴史的・文化的な影響力と上場企業としての株主権・取締役会統治の間にある緊張関係として捉える方が正確である。
10.そして、ここで業績を見る必要がある
では、なぜ今このような経営体制の転換が起きたのか。
一つの重要な背景として、ハチバンの収益構造の変化がある。
2026年3月期の営業収益は86億44百万円、売上高は77億30百万円で、いずれも前期を上回った。
しかし営業利益はわずか400万円。
前期の営業利益2億64百万円から98.2%減少した。
経常利益も2億7百万円となり、前期の4億63百万円から55.2%減少した。
親会社株主に帰属する当期純利益は6,000万円で、前期の2億36百万円から74.5%減少している。
これはかなり厳しい数字である。
売上高は伸びている。
客数も伸びている。
それなのに利益がほとんど残らない。
理由として会社は、原材料費、人件費、営業費の増加を挙げている。特に原材料費の高騰が想定を大きく上回ったとしている。
つまり現在のハチバンが抱える問題は、創業家問題だけではない。「売上は増えるが、利益が残らない」という外食産業の典型的な問題にも直面している。
11.ただし、ハチバンには強い事業基盤がある
ここを忘れてはいけない。
2026年3月20日時点でハチバンは303店舗を展開している。国内125店舗。海外178店舗。そのうち国内のらーめん店舗は114店舗、和食店舗は11店舗。海外ではタイ175店舗、ベトナム3店舗である。
つまり、すでに海外店舗数の方が国内店舗数を大きく上回っている。
これは非常に面白い企業である。「北陸のローカルラーメンチェーン」というイメージが強いが、実際の店舗網を見ると、北陸ローカル企業から、東南アジア型フランチャイズ企業へ変化しているのである。
12.実は「海外」がハチバンの成長エンジンになっている
2026年3月期の海外事業の営業収益は15億39百万円、前年同期比7.1%増。セグメント利益は3億84百万円だった。
一方、外販事業は売上高6億円程度で、セグメント損失はわずか200万円。つまり現在のハチバンでは、外食事業=最大の売上・利益基盤であり、海外事業=成長性の高い収益源となっている。
特にタイでは175店舗まで拡大している。
ここには、日本の地方外食企業が海外へ出ていく際の一つのモデルが存在する。
日本国内で大量出店するのではなく、
ブランド+レシピ+食材+FC運営ノウハウ
を海外へ移植するのである。
13.タイで成功した理由は「日本食」ではなく「現地化」である
ハチバンはタイで単純に日本のラーメンをそのまま売っているわけではない。
現地の嗜好に合わせた商品開発やサービス改善を行ってきた。
さらにタイでは液体調味料の製造・販売も行っており、単なる飲食店チェーンではなく、食品メーカーとしての機能も持っている。
2026年3月期の海外事業では、液体調味料の製造・販売において新規取引先・新商品が好調だったと会社は説明している。
ここにはハチバンの本当の強みがある。
それは、「8番らーめんという店舗ブランド」だけではない。「食品を標準化し、製造し、供給し、店舗で再現する能力」なのである。
14.そして2026年、「第二の創業」が始まった
現在の長丸社長は、2026年の経営を「第二の創業」と位置付けている。
その象徴が、2026年5月に発表された「中期経営計画2028」である。
スローガンは、「北陸のソウルフードから『世界のHACHIBAN』へ」である。
ここには現在のハチバンの経営思想がかなり明確に表れている。
北陸で100店舗前後を維持する会社から、
日本全国、タイ、ベトナム、そして新しいアジア市場へ展開する企業へ。つまり、創業家から経営権を引き継ぐだけではなく、会社そのものの成長モデルを変えるという発想である。
15.2028年までに378店舗を目指す
中期経営計画2028では、総店舗数を303店舗から378店舗へ増やす目標が掲げられている。
75店舗の純増である。
内訳は、
国内160店舗、
海外218店舗。
つまり海外で40店舗、国内で35店舗増やす計画である。
さらにベトナムについては、2025年の3店舗から2028年には12店舗へ増やす計画。
新市場についても8店舗の出店を目標にしている。
これは従来のハチバンから見ると、かなり攻めた経営である。
16.「金澤醤油豚骨8番らーめん」は新体制の象徴
この新しい経営戦略を象徴するのが、「金澤醤油豚骨8番らーめん」である。
従来の8番らーめんは、
家族連れ、
ロードサイド、
野菜らーめん、
地域密着、
というイメージが強い。
これに対して新ブランドは、より若い男性客などを意識した「ガッツリ系」の商品構成になっている。
2025年11月に兵庫県姫路市に1号店、2026年4月に滋賀県湖南市に2号店、そして8月には姫路駅前に3号店を開業した。姫路駅前店は28席で、11時から24時まで営業し、アルコールも提供する駅前繁華街型店舗である。
これは単なる新商品ではない。
店舗フォーマットそのものを実験している。
ロードサイド。
商業施設。
駅前。
それぞれのモデルで客層、客単価、営業時間、厨房設備、人員配置を検証し、最終的にFCモデルとして標準化しようとしている。
これは非常に現代的なチェーン経営である。
17.創業時の「8番」と、現在の「8番」は同じではない
ここに今回の経営体制変更の意味を考えるヒントがある。
1967年の8番らーめんは、
「地域の人に、おいしくて安いラーメンを食べてもらう」
という商売だった。
しかし2026年のハチバンは違う。
いま求められているのは、
人手不足
原材料価格上昇
物流費上昇
人口減少
国内市場の成熟
海外市場開拓
DX
AI
ロボット
FCモデルの高度化
への対応である。
つまり、創業時の成功モデルをそのまま守るだけでは、長期的な成長は難しい。
だからこそ現在の経営陣は、
「創業の精神は残すが、経営モデルは変える」
という方向に進んでいる。
18.AI・DX・ロボットも経営戦略に入った
中期経営計画では、AI、DX、ロボット導入による生産性向上、省人化、厨房環境改善も掲げられている。
これは外食産業にとって非常に重要である。
ラーメン店は一見するとローテク産業に見える。
しかし実際には、
注文、
調理、
配膳、
洗浄、
在庫管理、
発注、
シフト管理、
顧客データ、
FC管理、
物流、
商品開発、
など、デジタル化できる領域が非常に多い。
特に人口減少地域である北陸を本拠地とするハチバンにとって、省人化は単なるコスト削減ではなく、店舗そのものを維持するための経営戦略になる。
19.「売上を増やす」だけではなく「利益率を戻す」が本当の課題
ハチバンの2026年3月期を見ると、売上高は伸びているのに営業利益が急減している。
この問題を解決しなければ、378店舗という目標を達成しても、単に「忙しいけれど儲からない会社」になってしまう。
そこで中期経営計画では、2028年に連結営業収益120億円超、経常利益の大幅増加、利益率改善、ROE8%以上の維持・拡大を目標としている。
つまり新体制の本当の課題は、
店舗数を増やすこと
だけではない。
店舗を増やしても利益が残る構造を作ること
である。
20.現在の「お家騒動」を経営戦略から見る
ここまで見てくると、創業家問題の意味が少し違って見えてくる。
創業家からすれば、
「8番らーめんを作った家族が経営から完全にいなくなる」
ということは、単なる人事異動ではない。
ブランドの歴史そのものに関わる問題である。
一方、現在の経営陣からすれば、
「上場企業として次の成長段階へ進むために、取締役会を再構築する」
という意味を持つ。
この二つの考え方は必ずしも両立しない。
だから今回の対立は、
「創業家を残すか、追い出すか」
という単純な話ではない。
より本質的には、
「創業者一族の企業文化を残しながら、所有と経営を分離できるのか」
という問題なのである。
21.創業家を取締役から外すことと、創業家の価値を否定することは違う
企業統治の観点から重要なのはここである。
創業家が取締役から退いたとしても、
創業家の歴史、
ブランド文化、
顧客との関係、
商品思想、
地域との関係、
を捨てる必要はない。
むしろ成熟したファミリービジネスでは、
所有者としてのファミリー
と
経営者としてのプロフェッショナル
を分けることで、企業の寿命を延ばすことがある。
ハチバンが今後成功するかどうかは、この分離をどのように実現するかにかかっている。
創業家を経営から外すだけでは不十分である。
創業家が持つ「見えない資産」を会社に残す仕組みが必要になる。
22.ハチバンにとっての「見えない資産」とは何か
ハチバンの場合、見えない資産は非常に大きい。
第一は「8番」というブランドそのもの。
第二は「野菜らーめん」という象徴的商品。
第三は北陸地域との関係。
第四はフランチャイズ加盟店とのネットワーク。
第五は食品製造・供給能力。
第六はタイで積み上げてきた海外FC運営ノウハウ。
そして第七が、創業家を含む歴史的な企業文化である。
これらを経営から完全に切り離すことはできない。
したがって、「創業家を経営から外す」という組織変更が成功するかどうかは、創業家を外した後に、創業家が築いた無形資産をどう継承するかによって決まる。
23.一方で、創業家経営にも固有のリスクがある
逆方向から考える必要もある。
創業家が長期間経営すると、
意思決定が速い、
長期的視野を持ちやすい、
ブランド文化を守りやすい、
というメリットがある。
しかし同時に、
後継者の選択肢が狭くなる、
経営と所有が混同される、
取締役会の独立性が弱くなる、
外部人材が入りにくくなる、
という問題も起こり得る。
上場企業になったハチバンが、創業家中心の経営から取締役会中心の経営へ移行することには、こうした企業統治上の意味もある。
したがって、現在の経営陣と創業家のどちらが「正しい」と簡単に決めるべき問題ではない。
重要なのは、
どの経営体制がハチバンを次の50年へ持っていけるのか
という問いである。
24.しかし、現在の経営陣にも難題がある
創業家を退任させれば問題が解決するわけではない。
むしろ、ここからが新体制の本当の勝負である。
なぜなら、2026年3月期の営業利益が400万円まで落ちているからだ。
店舗を増やす。
海外へ進出する。
新ブランドを作る。
AI・DXを導入する。
人材へ投資する。
工場へ投資する。
これらはすべて先行投資を必要とする。
しかも原材料、人件費、物流費は上昇している。
つまり新体制は、創業家問題を解決することよりも、利益を生む成長モデルを作ることの方が難しい課題を抱えている。
25.「北陸のソウルフード」は人口減少とどう戦うのか
ハチバンが置かれている地域環境も重要である。北陸は人口減少、高齢化、若年層流出などの問題を抱えている。「8番らーめん」が地域住民に愛されているからといって、その地域人口が減れば国内市場は縮小する。そこで海外へ出る。あるいは北陸以外の国内地域へ出る。さらに若者向けのブランドを作る。駅前型店舗へ進出する。商業施設へ入る。ロードサイド型を維持する。
つまり、「北陸で愛されるブランド」を維持することと、「北陸だけに依存しない企業」になることを同時に進めようとしている。
26.実は「世界のHACHIBAN」はかなり現実的な目標でもある
「世界のHACHIBAN」という言葉だけを見ると、大げさな海外戦略に見える。
しかし、すでにタイ175店舗という実績がある。
さらにベトナムにも店舗がある。
2028年には海外218店舗を目指す。
つまり、ハチバンにとって海外はこれから始める事業ではない。
すでに成功モデルを持っている事業を、別地域へ拡張する段階
に入っている。
これはゼロから海外展開する企業よりも有利な位置にある。
27.ただし「タイモデル」を他国へコピーできるとは限らない
一方、海外展開には当然リスクもある。
タイで成功したからベトナムでも成功するとは限らない。
さらにインドネシア、フィリピン、マレーシアなどに進めば、宗教、食文化、所得水準、商業施設事情、物流、原材料調達、労働慣行が変わる。
そのため、ハチバンの強みは「8番らーめんというブランド」だけではなく、
現地の食文化に合わせて商品を変えながら、ブランドの核を維持する能力
になる。
これは今後の重要な経営能力である。
28.2026年の「8番らーめん」は、実は二つの会社像を持っている
現在のハチバンを見ると、非常に面白い二重構造が存在する。
一方には、
「なんでやろ、8番」
という北陸のローカル文化がある。
家族で食べる。
野菜らーめんを食べる。
餃子を食べる。
昔から変わらない味を楽しむ。
これは「文化としての8番」である。
もう一方には、
AI、
DX、
ロボット、
海外FC、
新ブランド、
駅前店舗、
商業施設、
若年層、
ベトナム、
新市場、
という「成長企業としてのHACHIBAN」がある。
この二つをどう統合するかが、現在の経営課題である。
29.だから今回の「お家騒動」は、実は事業承継問題なのである
表面的には、
創業家 vs 現経営陣
に見える。
しかし、その下には、
創業企業を誰が次の時代へ持っていくのか
という事業承継問題がある。
創業家は、
「企業文化を守る」
という正統性を持つ。
プロ経営者は、
「市場環境に適応する」
という正統性を持つ。
株主は、
「企業価値を高める」
ことを求める。
従業員は、
「働き続けられる会社」
を求める。
加盟店は、
「儲かるFCモデル」
を求める。
顧客は、
「変わらない8番」
を求める。
海外市場では、
「現地で通用する8番」
が必要になる。
これらの要求は、必ずしも一致しない。
30.「変わらない8番」と「変わる8番」の戦い
だからハチバンの現在を一言で表すなら、
「変わらない8番」と「変わらなければならない8番」のせめぎ合い
と言える。
野菜らーめんは残す。
8番の名前も残す。
北陸との関係も残す。
しかし、
店舗は変える。
業態も増やす。
出店地域も変える。
顧客層も広げる。
海外へ進む。
AIやロボットも導入する。
この矛盾を経営によって統合することが、現在の長丸体制に求められている。
31.そして「創業家退場」の評価は、まだ決着していない
ここは非常に重要である。
2026年6月の株主総会で創業家出身者が取締役から退いたことは事実である。
また、創業家側からその経緯やガバナンスについて疑問が示されたことも報道されている。
しかし、それだけで、「経営陣が創業家を不当に追放した」とも、「創業家が経営にしがみついている」とも断定できない。
公開資料から確認できるのは、後藤晋一氏らの退任が任期満了によって行われたこと、現在の取締役会が創業家を含まない体制になったこと、株主総会でその経緯をめぐる批判・質問が出たことまでである。
したがって、「お家騒動」の具体的な経緯については、会社側と創業家側の双方の説明を継続して確認する必要がある。
32.むしろ注目すべきは、これからの3年間である
現在のハチバンは、非常に明確な目標を掲げている。
2028年。
店舗数378店舗。
営業収益120億円超。
経常利益の大幅増加。
ROE8%以上。
国内160店舗。
海外218店舗。
ベトナム12店舗。
新市場8店舗。
これは単なる経営理念ではない。
かなり具体的な数値目標である。
したがって今後のハチバンを見る場合、
「創業家が外された」
という人事だけを追うのではなく、
この新しい経営戦略が実際に利益を生むのか
を見る必要がある。
33.最大の経営課題は「拡大」と「収益性」の両立
新規出店には、
店舗建設費、
人件費、
教育費、
広告費、
設備投資、
物流費、
システム投資、
が必要になる。
しかも新ブランドはまだ実験段階である。
そのため、378店舗を目指すこと自体は可能でも、
378店舗を高収益で運営できるか
は別問題である。
2026年3月期に営業利益が400万円まで落ちたことを考えれば、この点は新体制にとって最大級の課題になる。(日本取引所グループ)
34.「第二の創業」の本当の意味
長丸社長が掲げる「第二の創業」という言葉は、単なるマーケティング用語ではない。
第一の創業は、
後藤長司氏が国道8号線沿いに店を開き、FC化によって8番らーめんを広げた時代
だった。
第二の創業は、
そのブランドを、人口減少時代に適応させ、海外へ展開し、デジタル化し、新しい店舗モデルを作る時代
ということになる。
つまり、
「創業家を外すこと」
が第二の創業なのではない。
「創業時に作られたビジネスモデルを、次の時代に合わせて作り直すこと」
こそが第二の創業なのである。
35.そのとき創業家は「敵」ではなく「歴史資産」になれるか
ハチバンの今後を考える上で、ここが最も重要な論点かもしれない。
創業家が取締役会から退いたとしても、創業家の歴史は消えない。
むしろ、
「後藤長司が1967年に国道8号線沿いで始めた」
という物語そのものが8番らーめんのブランド資産である。
したがって、
経営から創業家を分離すること
と
創業家の歴史をブランドから排除すること
は全く違う。
新経営陣がこの違いを理解しているかどうかは、今後のブランド戦略を見る重要なポイントになる。
36.「世界のHACHIBAN」になるために必要なのは、むしろ創業精神の再定義である
世界へ出るとき、日本のローカルブランドはしばしば「日本らしさ」を商品として輸出する。
しかし本当に強いブランドは、単に商品を輸出するのではない。
思想を輸出する。
8番らーめんの場合、その思想は、
「野菜をたっぷり食べられる」
「家族で気軽に食べられる」
「地域の人に愛される」
「価格と品質のバランスを取る」
「チェーンだからどこでも同じ安心感がある」
というところにある。
これを海外市場向けに翻訳できれば、「8番」というブランドはラーメンそのものを超える。
結論――「8番らーめん」は創業家を離れて、どこへ向かうのか
1967年。
石川県加賀市の国道8号線沿いに、一軒の小さなラーメン店が生まれた。
店主は後藤長司氏。
その店はFC化され、工場を持ち、食品製造・供給システムを構築し、北陸を代表する外食企業へ成長した。
その過程で、後藤家は長く経営の中心を担った。
しかし2020年に後藤克治氏から長丸昌功氏へ社長が交代し、2024年には後藤氏が代表取締役を退任。2026年6月には後藤克治氏の実子である後藤晋一氏も取締役を退任した。
そして現在の取締役会から創業家出身者はいなくなった。
その過程をめぐって、2026年6月の株主総会では創業家側からガバナンスに関する問題提起が行われた。
だから現在のハチバンには、「お家騒動」という言葉が付きまとう。
しかし、この問題を単純な「創業家追放」として理解するだけでは、本当の意味を見失う。
現在のハチバンは、303店舗から378店舗へ、国内125店舗から160店舗へ、海外178店舗から218店舗へと店舗網を拡大する計画を掲げている。
ベトナムを増やし、新市場へ進出する。
「金澤醤油豚骨8番らーめん」という新ブランドを育てる。
ロードサイド、商業施設、駅前という複数の店舗フォーマットを開発する。
AI、DX、ロボットによって省人化する。
そして「北陸のソウルフードから世界のHACHIBANへ」という新しい企業像を描いている。(八番目)
つまりハチバンはいま、
「創業家を残すか、残さないか」
という問題だけに直面しているのではない。
本当の問題は、
「創業者が作った会社を、創業者がいなくても100年続く会社にできるか」
ということである。
そして、その答えは今後3年間の業績に表れることになる。
2026年3月期、売上高は増えた。
しかし営業利益は4百万円まで落ちた。(日本取引所グループ)
この状態から、
378店舗を実現し、
営業収益120億円を超え、
利益率を改善し、
海外事業を拡大し、
「世界のHACHIBAN」を実現できるのか。
そこに現在の長丸体制の真価が問われる。
一方、創業家側にとっても、経営の座を取り戻すことだけが選択肢ではない。
「8番らーめん」というブランドが、後藤長司氏から始まったこと。
北陸の人々に愛される企業文化を持っていること。
その歴史そのものが企業価値の一部であること。
これを次世代へどう残すのかという役割がある。
もし、
創業家は「歴史と文化」を守り、
プロ経営者は「経営と成長」を担い、
株主は「企業価値」を監督し、
加盟店は「現場」を支え、
従業員は「サービス」を作る
という関係を構築できれば、今回の経営体制の変化は単なる「創業家追放」ではなく、ファミリービジネスが上場企業へ成熟していく一つの転換点になる。
逆に、創業家と現経営陣の対立が長期化し、ブランドの歴史と経営戦略が分断されれば、「なんでやろ、8番」という言葉そのものが、企業の強みではなく過去の記憶になってしまう可能性もある。
だからこそ、2026年のハチバンで本当に起きていることは、
「創業家が会社から出ていく事件」
というより、
「1967年に生まれた北陸企業が、創業家企業から近代的な上場企業へ、そして地域企業からグローバル企業へ二重の転換を試みている」
という壮大な事業承継・企業変革の物語として捉えるべきなのだ。
「なんでやろ、8番」。
その問いは、いまやラーメンの味だけに向けられているのではない。
「なぜ、8番は次の時代へ変わろうとしているのか」
という問いこそ、2026年のハチバンを見るうえで重要になっている。
参考にした主な資料
ハチバンの公式な会社概要・店舗数・事業内容については同社資料、沿革については同社の公式沿革および有価証券報告書を基礎にしました。
業績については2026年3月期決算短信を中心に、2027年3月期第1四半期の最新業績も確認しています。2026年3月期は営業収益86.44億円、売上高77.30億円に対し、営業利益0.04億円、経常利益2.07億円、純利益0.60億円でした。(日本取引所グループ)
経営戦略については、2026年5月公表の「中期経営計画2028」と長丸社長のインタビューを中心に確認しました。(日本取引所グループ)
創業家の退任については、会社が公表した人事異動資料と現在の役員一覧を基礎にし、株主総会での創業家側の問題提起については北國新聞・47NEWS等の報道を参照しました。
なお、「創業家が不当に追放された」という点については、現時点で公開資料だけから事実として確定できないため、記事ではそのように断定していません。会社側の公式説明では退任は任期満了であり、他方で株主総会では創業家側からガバナンスへの問題提起がなされた、というところまでを事実として扱っています。
