社会変動の世界
人間が切っても切れない関係にある社会というものは常に変動している。 社会が変動することで影響受ける存在が人間である。 変動する社会を理解するための視点を手に入れよう。は、ケアイノベーション協会が執筆しています。
より良い世界再建(Build Back Better World:B3W)
米国バイデン政権は、コロナ感染症流行後の様々な社会的・経済的・政治的な問題を総合的に解決する方向性として、「より良い世界再建(Build Back Better World:B3W)」を提示した。G7参加国のイニシアチブで2021年に開始された。コロナからの回復の中で、中国との対決が進んでいる。
そのため、低中所得国のインフラ開発のため、中国の一帯一路政策に代わるものとして位置付けられている。中国の戦略的影響力に対抗することが大切である。
米国が主導するG7諸国は、計画に基づいて2035年までに約40兆ドルを開発途上国に提供する予定である。
資金は民間部門から生み出され投資される。次の状況を改善することが目的である。
●気候
●健康と健康の安全保障
●デジタル技術
●ジェンダーフリー
社会の変動
古来から人々は、森羅万象が変化したり、生まれたり消えたりする現象に深く関心を持ってきた。
その興味は、自分たちが形作る社会の変動についても同じく尽きることなかった。古今東西の知識人は社会の変動について数多くの説を述べ、思索を巡らせた。一日として同じ状態が維持されない毎日の生活と、そこから生じる様々な軋礫が、知識人たちにインスピレーションを与え、多様な論説が生み出されたのである。
社会の変動に対する興味と探求心が社会学を生むベースになったと理解できるだろう。
ただし、完壁に社会変動を科学的に理論化し、その原理を捜し出すのは困難で、社会学もその材料となる考察を残してきた段階でである。
森羅万象のすべてが常に転変し、生滅したり、変化してやまない現象について、古今東西の別なく、ほぼすべての人が関心事にしてきました。これらの社会の変動について、古今東西の宗教家や思想家、知識人が膨大な思想を語っています。変化に富む日常生活とそこから生ずる様々な軋礫こそが、種々の歴史哲学や思惟を生みだしたともいえるでしょう。社会学の成立も、社会の変動に対する視点が重要なきっかけとなっていることは間違いないでしょう。
社会の様々な変化を個々に記述することや、特定の社会変動の事例を経験的に解明することは数多くなされています。ですが、そうした個別の考察を総合し、一般化し、理論にまで深化させた研究となると、その数はかなり限られています。
完壁な社会変動の理論を捜し出すのは今日でも困難なのです。まず社会学の草創から中期にかけて活躍したコント、スペンサー、テンニース、マッキーヴァーの手になる段階論があります。さらに、マルクスとダーレンドルフを社会的葛藤ないし社会的対立との関連で、次にデュルケム、ヴェーバー、パーソンズを社会秩序との関連で取り上げたいでしょう。
社会の変動 · テンニース
F.テンニースc Tönnies、1855-1936)は、社会学の基礎的概念として、「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」と分けた。彼は、相互に肯定的な関係から形成される集団ないし結合のうちに、実在的有機的生命体と観念的機械的形成物の2種類を認めるのである。
すなわち、共同社会とも訳されるゲマインシャフトの特徴は、信頼と愛情に基づき互いの意志が完全に統一されて持続的に結合した親密状態のうちにあり、その典型は家族のなかに見られる。
これとは逆に、 利益社会とも訳されるゲゼルシャフトの特徴は、互いに独立せる意志が反対給付ないし特定の目的を望める限りで一時的に結合した緊張状態のうちにあり、 その典型は営利のたかに見られるという。そして彼は、実在的自然的統一たる本質意志のゲマインシャフトの時代から、観念的人為的統一たる選択意志のゲゼルシャフトの時代への移行を、歴史のなかに見いだしているのである。
社会の変動 · スペンサー
H. スペンサー(H.Spencer, 1820-1903)の場合にも、社会学は、彼の「総合哲学体系」なる計画のなかに、その一部として位置づけられている。宇宙論から生物学までを視野にいれるこの総合計画のうち、社会有機体を対象とするのが社会学とされるのである。
総合計画全体の基本原理には進化論が採用され、社会に対しても同質性から異質性へという進化の視点から検討が加えられている。コントと同様、スペンサーも社会学を静学と動学とに分け、後者において軍事型社会から産業型社会へという変動の視角を提出するのである。
この2つの類型は、社会のなかで優勢なる社会的活動は何であるかという観点から区別されている。つまり、人々の多様な行動を統合する主要な活動が、軍事型社会では組織からの集権的な強制であり、産業型社会では個人の自発的な協力によると理解されているのである。そしてスペンサーは、社会が個人に優越する前者から、個人が社会に優越する後者への変動のなかに、社会の進化を見ていたのである。
サウジアラビア金融グループ
サウジアラビアの中央銀行であるSaudi Arabian Monetary Authority(SAMA)や政府省庁である財務国民経済省(Ministry of Finance and National Economy)が最右時アラビアにおける金融のメインプレーヤーの代表的存在として指摘できる。SAMAが主要株主にリストされる銀行が多く、財務国民経済省がサウジアラビア政府の金融上の代表機関として活動していることから、これらの機関は単に政府機関といった位置づけよりはプレーヤーとしての機能が大きいといえる。
サウジアラビアの資本グループの中で、これら政府系の資本金ベースのシェアは民間金融のシェアをはるかにしのいでいる。
サウジアラビアにおける商業ベースでの重要性が高い金融機関は、ロンドンに本部を置いている欧州、米国、日本の銀行資本とのコンソーシアム・バンクとしてサウジ・インターナショナル・バンク(SAMAが50%を所有)がある。さらに、サウジアラビア国内の最大の商業銀行リヤド・バンク(SAMAが13%所有)がある。
サウジアラビアにおけるいわゆる商業銀行(Commercial Bank)は11行あり、そのうち2行のみがサウジアラビア人のみを株主とする純サウジアラビア資本による銀行である。
そのうち1行は、サウジアラビア政府(SAMA)が43%(1987年11月にはSAMAの比率は38%まで下がっている)出資するリヤド・バンクである。
残りの1行は、ピン・マハフーズ一家及びカーキー族で100%を所有するナショナル・コマーシャル・バンク(NCB)である。
リヤド・バンクは、リヤド・バンクが60%,仏クレディ・リヨネが40%を出資したオフショア・バンクであるガルフ・リヤド・バンク(所在地バーレーン)を所有している。