戦後の日本は、長らく「一億総中流社会」と呼ばれてきました。もちろん、実際には所得格差や資産格差は存在していましたが、多くの国民が「自分は中流である」と認識し、教育や就職を通じて生活水準を向上させられるという期待を持つことができました。

しかし、バブル経済崩壊後の長期停滞、グローバル化、少子高齢化、雇用制度の変化などを経て、日本では「格差社会」という言葉が定着しました。今日では、所得格差だけでなく、教育、地域、資産、健康、情報へのアクセスなど、多面的な格差が社会問題となっています。

この問題を理解するためには、社会学が長年研究してきた「階級」「階層」「社会移動」という基本概念を押さえることが重要です。これらは似た言葉のように見えますが、それぞれ異なる意味を持ち、現代日本を分析する上で欠かせない視点となります。

階級とは何か──経済的地位による社会の区分

社会学における「階級(Class)」とは、生産手段や資本の所有関係、あるいは経済的地位に基づいて社会を分類する概念です。

階級論を体系化した代表的な思想家として知られるのがカール・マルクスです。マルクスは、資本主義社会を「資本家階級」と「労働者階級」という二つの主要な階級から構成されると考えました。資本家は工場や土地、企業などの生産手段を所有し、労働者は自らの労働力を提供することで賃金を得るという関係です。

現代社会は、マルクスの時代ほど単純ではありません。企業経営者、自営業者、専門職、公務員、フリーランス、非正規雇用など、多様な働き方が存在します。しかし、経済資本を多く持つ人々と、賃金収入に依存する人々との間に経済的格差が存在するという構造は、現在でも重要な分析視点となっています。

一方、マックス・ヴェーバーは、社会を経済だけで説明することはできないと考えました。ヴェーバーは、所得や財産だけでなく、学歴や資格、職業上の威信、政治的影響力なども社会的地位を決定する要素であると指摘しました。この考え方は、現代社会学に大きな影響を与えています。

階層とは何か──多面的な社会的位置

「階層(Stratum)」は、階級よりも広い概念です。

階層とは、人々を所得だけではなく、教育水準、職業、資産、文化資本、生活様式、社会的ネットワークなど、多様な指標によって位置づける考え方です。

例えば、同じ年収800万円であっても、医師と中小企業経営者では生活様式も価値観も異なります。また、年収は高くなくても、高い教育を受け、文化的活動に積極的な人もいます。

フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、人々の社会的位置は経済資本だけで決まるのではなく、「文化資本」や「社会関係資本」も重要であると論じました。文化資本とは学歴や教養、芸術への親しみなどを指し、社会関係資本とは人間関係や信頼のネットワークを意味します。

現代日本では、所得格差だけでは説明できない教育格差や情報格差が問題となっています。こうした現象は階層論によって理解しやすくなります。

社会移動とは何か──人生を通じた階層の変化

社会移動とは、人が生涯の中で社会的位置を変えることを指します。

親の職業より高い地位に就くことを「上方移動」、逆に低い地位になることを「下方移動」と呼びます。

社会移動には、自分自身の努力や教育によって生じる「世代内移動」と、親子間で起こる「世代間移動」があります。

高度経済成長期の日本では、多くの家庭が農業や自営業から会社員へ移行し、所得や生活水準を大きく向上させました。大学進学率の上昇と企業の終身雇用制度が、この社会移動を支えました。

しかし現在では、親の所得や教育水準が子どもの教育機会に影響する傾向が強まり、社会移動の機会が縮小しているとの研究も少なくありません。

「努力すれば報われる」という社会の実感が薄れることは、社会全体の活力にも影響を与えます。

「一億総中流」とは何だったのか

一九七〇年代から八〇年代にかけて、多くの日本人は自らを「中流」と認識していました。

この背景には、高い経済成長率、終身雇用、年功序列賃金、公教育の充実、住宅取得支援などがありました。

所得格差は存在していましたが、その差は現在ほど大きくなく、多くの人が生活水準の向上を実感していました。

また、製造業を中心とする安定した雇用が広がり、「子どもは親より豊かな生活を送れる」という期待も共有されていました。

この時代には、社会移動への期待が強く、格差よりも成長が社会の中心テーマとなっていました。

現代日本における格差の特徴

現在の日本の格差を生み出す源泉は「所得」だけではありません。所得を平準化したとしても現在の格差は解消されないでしょう。では、なぜ日本の格差は生み出されるのでしょうか?

第一に、雇用格差があります。

正規雇用と非正規雇用では、賃金だけでなく、昇進、研修、退職金、社会保障などに大きな差があります。若年層ほど非正規雇用の割合が高いことは、将来の所得や資産形成にも影響します。

第二に、教育格差があります。

家庭の経済状況によって、塾や習い事、大学進学の選択肢に差が生じることがあります。教育機会の差は、その後の職業選択や所得にもつながりやすく、格差が世代を超えて再生産される要因となります。

第三に、地域格差があります。

人口減少が進む地方では、医療機関や高等教育機関、公共交通機関へのアクセスが都市部と比べて限定される場合があります。地方から都市への人口流出が続く一方で、都市部では住宅価格や生活費の上昇が新たな負担を生んでいます。

第四に、資産格差があります。

高齢世代では、不動産や金融資産を保有している家庭とそうでない家庭との差が広がる傾向があります。所得だけでは見えにくい格差として、資産の有無が生活の安定性を左右する場面も増えています。

さらに、デジタル技術の普及に伴い、情報格差やデジタルリテラシーの違いも、就業機会や行政サービスの利用に影響を与える要素となっています。

格差社会がもたらすリスク

格差そのものが直ちに社会不安を生むわけではありません。しかし、格差が固定化し、「努力しても状況を変えられない」という認識が広がると、社会の安定性は損なわれやすくなります。

社会学や政治学では、機会の平等が失われることは、社会への信頼の低下や政治的不満の蓄積につながる可能性があると考えられています。海外では、経済格差や地域格差が政治的分断やポピュリズムの支持拡大と関連づけて議論されることもあります。

また、格差は出生率の低下にも影響を及ぼし得ます。将来への見通しが立ちにくい若年層では、結婚や子育てをためらう要因となることが指摘されています。格差問題は、経済だけでなく人口動態や地域社会の持続可能性とも結び付いているのです。

格差社会を克服するための政策ツール

格差を是正するためには、所得の再分配だけでなく、「機会の平等」を広げる政策が重要です。

第一に、教育への投資を強化することです。幼児教育から高等教育、さらには社会人の学び直しまで、家庭の経済状況に左右されにくい教育環境を整えることは、社会移動を促進する基盤となります。

第二に、人的資本への投資を進めることです。デジタル技術やAIの普及によって産業構造が変化する中、生涯学習や職業訓練を通じて、年齢にかかわらず新しい技能を身に付けられる仕組みが求められます。

第三に、地域政策の充実です。地方における医療、教育、交通、通信インフラを維持・強化し、地域間の機会格差を縮小することが重要です。デジタル技術を活用した遠隔教育や遠隔医療も、その一助となるでしょう。

第四に、資産形成を支援する政策です。少額からの長期積立投資や住宅取得支援、金融教育の充実などを通じて、勤労所得だけに依存しない資産形成を後押しすることは、将来の生活基盤を強化する上で有効です。

第五に、子育て支援と仕事の両立支援を進めることです。保育サービスの充実、柔軟な働き方の普及、男女双方が育児に参加しやすい制度設計は、家族形成を支えるだけでなく、将来世代への投資にもつながります。

さらに、高齢化が進む日本では、高齢者を「支えられる存在」としてだけではなく、経験や知識を活かして社会参加できる環境を整えることも重要です。世代間の交流や地域活動を促進することで、社会関係資本を豊かにし、孤立の防止や地域コミュニティの再生にも寄与するでしょう。

「結果の平等」ではなく「機会の豊かさ」を目指す社会へ

格差を完全になくすことは現実的ではありません。能力や努力、選択の違いがある以上、一定の差異が生じることは避けられないでしょう。

しかし、社会が目指すべきなのは、出発点や機会が過度に固定化されないことです。家庭環境や地域によって人生の選択肢が大きく制約される社会では、個人の潜在能力が十分に発揮されず、社会全体の活力も失われます。

日本は高度経済成長期に、多くの人々が将来への希望を持てる社会を築きました。現代においてその姿をそのまま再現することは難しいとしても、「誰もが学び、挑戦し、必要に応じて再挑戦できる社会」を実現することは可能です。

そのためには、教育、雇用、地域、資産形成、社会保障を一体的に見直し、「結果の平等」を求めるのではなく、「機会の豊かさ」を広げる社会を目指すことが重要です。格差の是正とは、単に所得を調整することではなく、一人ひとりが能力を発揮し、安心して未来を描ける社会基盤を整える営みにほかなりません。それこそが、日本社会の持続可能性と活力を支える最も重要な条件となるでしょう。